ねぇねぇ、そろそろ名前返してくれないかな?
ちょっとだけって言ったよね?
ごめんごめん、楽しすぎて思いの外長く借りてしまった。
そろそろ返さないとね。
そもそも、何で僕の名前使ったのさ?
君を名付けて私に贈ってくれた人が明るくて前向きで、素敵な人だったからね。
私もそうなりたいと思って、願いを込めてみた。
ふーん、そうだったんだ。
それで、変われた?
うーん、ちょっぴりね。
でも資格取得くらいじゃ本質は変わらないかな。
どこまで生きても、私は私だよ。
ゆーきちのブログ、当事者としては泣けますね。hoppy mouseさんにも特別出演していただいて、豪華共演での千穐楽になりました。可愛いイラストには、本当に癒された~
さて、何だか微かに春の匂いを感じませんか?私はこの生温かな空気を感じると、どうしても別れの季節が近づいていることを感じ、切なくなってしまいます。
こんにちは。不幸で出まくるセロトニン・Tommyです。「春が嫌い」と言ったら「そんなのは世界でアンタだけだ」と言われたことがありますが、そんなことないでしょうよ。皆様如何お過ごしでしょうか。
ワーワー言ってますが、私のブログも今日で最後となりました。感傷的なのは私だけで他の70億の人々にとってはどうでもいいことだと思いますが、それなりに何を伝えたいか考えましたので、最後に披露いたします。
目次
実は私が書こうと思っていたことを、同じく多年度仲間のまさひろに先に書かれてしまいました。悔しくはありますが、それほどまでに皆、特に不合格を経験した人間は、どんな結果の人にも寄り添いたい、と思っているのだと感じました。
私が不合格だった年、ひとりではその悲しみに耐えられず、ネット上で延々と「不合格仲間」を探していました。でもオンラインの世界に溢れているのは「合格しました!」の声ばかり。もしかして今回だけ歴史的に合格率が高かったのでは!?と更に落ち込んだことを覚えています。
でも、当然ですがそんなことはありません。本当は二次試験を受けた人だけでも8割くらいが「不合格になっている」試験なのです。私のように「不合格を経験した」ことがある人、一次試験で「不合格を経験した人」も含めれば、一体どれだけの人間がこの悔しさを味わったことでしょう。喜びの声が飛び交っているように聞こえるのは、喜びの結果だった人だけが叫んでいるだけ。その声の下には、確実に悔し涙を堪えている人がいます。
私はふぞろいの活動をするまで、Twitterをしていなかったため、今回初めて「合格発表後のTwitter」というものを目撃しました。「残念でした」の声も予想よりは多かったのですが、やはり私が目にした範囲では「受かりました!」の元気な声が目立ちました。
繰り返しますが、この合否バランスは虚構です。小見出しのとおり「僕等は“みんな”落ちている」とまでは言いませんが、ほとんどの挑戦者が何らかの形で不合格を経験している試験であることは間違いないと思います。だから、もし今回残念な結果になった人で「ひとりだけ落ちたような」気がしている人がいたら、全力で「そんなことはない!」と言いたいです。だって本当に、そんなことはないから。
残念ながら知名度が高くない資格なので、全く知らない人からすれば「ふーん、ダメだったんだ」という感想になるかもしれませんが、不合格になる確率の方がはるかに高い試験に臨んだ、ということは忘れない方が良いと思います。
話はまた、がらりと変わります。
「ふぞろい」の活動をしてみて、ちょっとだけ前向きになれたことがあります。それはたまーに「私は最強」と思えたこと。
もちろん私はふぞろいの面々よりも、そしてこのブログを読んでくださっている名も知らぬ貴方よりも劣っていることばかりです。普通に考えて、ストレートで合格できた人よりも私は能力が劣っていると言わざるを得ません。でもその劣っているところは私しか持ちえない経験であり個性です。私の人生を生きてきた人間の中では、私は最強です。なんせ、他に私を生きている人はいないから。
「ふぞろい」の活動の中では、そんな私の生きてきた過程を、たくさん認めてもらえました。
ふぞろい=たくさんの個性
診断士の活動範囲も多岐に渡ります。独占業務がないからこそ、自分の土俵で生きていくことができ、弱い分野では助けを呼ぶことができる。そんな世界だからこそ、このような参考書が生まれたのではないかと仮定します。
私は基本的にはつい人を妬んだり嫉んだりすることが多く、その度に暗い気持ちになるようなネガティブ人間ですが、今後は自分自身を軸にして生きていけるよう、少しずつ変わっていきたいなと思います。
折しもAdoさんの楽曲「私は最強」や先日引退されたテニスプレイヤー国枝慎吾さんの座右の銘「俺は最強だ」が注目を浴びている昨今、私もそんな風になれたらいいなという気持ちを込めて記させていただきました。他の人と同じ能力を持ち、同じ経験をした人間はいません。誰もがみんな、違った個性を持つ「最強」な人間なのだと思います。少なくとも、たまにはそう信じて生きていこうと思います。
さぁ、これまで手を変え品を変え後続のソーイチのことを紹介してきましたが、遂にこれも最後です。
実はソーイチとその後に続くともとは、事例Ⅳの後も同じ班で活動をさせてもらいました。その際、お二人の息の合ったファインプレーに何度も救われたため、私は心の中でひっそりと「ふぞろいの鷺沼兄弟」と呼んでいましたよ。
サカナチームから飛び出てもなお活躍を止めない”痛快男子ズ”のブログを読みたい方は、次回また、同じ場所でお逢いしましょう。
諸所の方面に感謝の言葉を書き連ねたらキリがありませんが、ドメスティックな内容になりそうなのでそれは内々で伝えるとして、この辺りで潔く去るとしましょう。
これまで書きたいことを書きたいだけ書いてきた挙句のお願いで恐縮ですが、私の「憧れのエンディング」を叶えさせてください。このブログが始まったときから「最後のブログはこの言葉で締めたい」と妄想していました。折に触れて思い出す、最高に好きな文章をあの文豪から引用させていただき、私のラストメッセージにしようと思います。
太宰治「津軽」より
“さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行かう。絶望するな。では、失敬。”
1年間、本当にありがとうございました!
いつかまた逢う日まで、ご機嫌麗しゅう!